@@hermitlogger このコメントのオリジナルではないですよ jodasowさんも学説が無いって断言はしていないです 既に「The lineages of the first humans to reach northeastern Siberia and the Americas」、「Autosomal and uniparental portraits of the native populations of Sakha (Yakutia): implications for the peopling of Northeast Eurasia」という名前で論文がありますね
「三国のどれも勝たないのが三国志リスペクト」
思わず笑った
朝鮮半島のは、2回とも三国の内の一つが勝っちゃうからリスペクトしてないですね。
日本の場合、九州三国志(大友、島津、竜造寺)は島津が九州統一寸前で外圧ともいえる豊臣によって本国まで押し込まれちゃうから勝者無しでリスペクトありw
史籍によると、中国の古代民族は少なくとも160以上存在しており、その中でも著名なのは匈奴、鮮卑、羌、鉄勒、柔然、回紇、突厥、沙陀、党項、契丹、女真などである。これらの民族の大多数は、現在の56の民族には含まれていない。これらの古代の有名な少数民族は、王朝を建てたり、漠北を統一したりして、一時代を風靡したが、今はどうなっているのか?彼らは歴史の中で消えてしまったのか、それともどこかに行ったのか?その行方を探ってみよう。
### 匈奴
まず匈奴について述べる。匈奴は河套陰山一帯で興起し、戦国時代以来漠北の大族であり、弓を引く者が30万を数え、秦漢帝国の北方を脅かした。有名な万里の長城は、匈奴の侵入を防ぐために築かれたものである。秦漢帝国は全国の力を結集し、軟硬兼施、あるいは和親し、あるいは西域を通じて彼らの右腕を断ち、あるいは積極的に攻撃し、大砂漠にまで進攻した。これにより匈奴の勢力は大きく削がれた。東漢初期に匈奴は南北に分裂し、南匈奴は漢朝に降伏し、20万人以上が現在の内モンゴル、山西、陝西北部および甘粛東部に安置され、漢帝国の防衛に当たった。東漢後期にはさらに山西中部の汾水流域に移住し、漢人と混居するようになった。曹魏時代には匈奴の部族が郡県に編入され、漢人と同様に戸籍に登録され、漢族に融合した。五胡乱華の時代には、最初に蜂起したのは匈奴族の指導者劉淵であり、彼が漢人の姓「劉」を名乗り、国号を「漢」としたことからも、既に彼が漢族と自認していたことが窺える。北匈奴は漢帝国軍の攻撃を受け、一部は北単于に率いられて伊犁一帯に西遷し、さらに西へ移動して東ヨーロッパに到達し、4世紀にヨーロッパに現れたフン族(Huns)の祖先となった。彼らはドナウ川中流にフン族王国を建国し、その王アッティラ(Attila)は「神の鞭」と称され、ローマに進攻した。この一派の匈奴人は後にハンガリー一帯の先住民族に融合した。漠北に残った匈奴人は、推定で全体の40%を占め、新興の鮮卑に加入し、鮮卑族の一部となった。
要するに、匈奴族は南に移住した者が漢人と混住し、漢族に融合し、漠北に残った者は鮮卑に加入し、西に移住した者は東ヨーロッパ民族の一部となり、歴史の舞台から姿を消した。
### 鮮卑
匈奴に代わって漠北の民族として興ったのが鮮卑である。鮮卑族は現在の大興安嶺の鮮卑山区で興起し、後に南下して呼倫貝爾草原に至った。彼らは漢帝国の招抚を受け、共同で北匈奴を攻撃し、北匈奴は瓦解して西へ移動した。鮮卑はこれに代わって興り、匈奴の残存者を吸収し、北方大草原を支配し、さらに遼西に入り、関中に進出した。淝水の戦いの後に政権を樹立し、五胡十六国の主要なメンバーとなった。さらに現在の山西大同一帯を基盤として華北を統一し、北魏王朝を建てた。孝文帝の漢化政策の下で、胡服を禁じ、北方の言語を断ち、朝廷で漢語を使用し、姓を改めることが行われた。例えば拓拔氏は元氏に、独孤は劉に、歩六孤は陸に、丘穆陵は穆に改姓した。このようにして中原に移住した鮮卑族は次第に漢族に融合していった。
隋唐以降、鮮卑族は漢族に消え、もはや一つの民族実体として存在しなくなった。
### 柔然
柔然は匈奴、鮮卑に次いで北方草原を支配した民族であり、西暦402年に柔然汗国を建て、大漠南北に残存していた匈奴、鮮卑などの民族を吸収し、長城以南の北魏政権にとって主要な脅威となった。彼らは頻繁に南下して攻掠を行った。
西暦555年には、新興の突厥族に敗れて汗国は滅亡し、中原に移住した人々は漢族に同化し、漠北に残った者は突厥に融合した。
### 突厥
柔然の滅亡後、北方大草原は突厥語族に属する突厥、鉄勒、回紇によって相次いで支配された。突厥はもともとアルタイ山南麓に住んでおり、匈奴の後裔とされている。伝説によれば、彼らの始祖は狼と交合して十子を産み、狼を崇拝のトーテムとしていた。突厥は最初柔然に服従していたが、6世紀中葉に柔然を撃破し、漠北草原とジュンガル盆地を占領した。勢力が最盛期には、領土は東は遼東から西は中央アジアのアラル海、北はバイカル湖に達し、隋唐帝国を脅かした。西暦583年に東西に分裂し、東突厥は漠北草原を支配し、630年に唐帝国に滅ぼされた。西突厥はアルタイ山以西を支配し、659年に唐に滅ぼされた。東突厥の人々は唐に降伏し、現在のオルドス草原に安置された。彼らは一時再興し、漠北に再び汗国を建てたが、間もなく回紇に滅ぼされ、人々は唐に降り、内地に定住した。安史の乱の際、政府軍と反乱軍の双方に多くの突厥人が含まれており、後に彼らはみな漢族に同化した。彼らはそれぞれ姓を浑、張、薛に改め、漢人と異なることはなかった。西突厥の中にも唐に降って中原に移住した者があり、その中の一派である沙陀部は現在の陝北の塩州に安置され、関中に散在する沙陀人と結び、山西太原一帯に移住して、唐朝のために地方の征伐に従事し、多くの戦功を立てた。沙陀人は五代十国時代に、後唐、晋、後漢の三つの王朝と北漢国を次々に建て、一時は盛んであった。伝説の「十三太保」は沙陀人である。突厥の滅亡後、彼らの人々は漢族に同化する他、一部は回紇に帰順して回紇族となり、一部は西に移動して現在のアフガニスタンに至り、中央アジアにセルジューク・トルコ王朝およびオスマン・トルコ王朝を建国した。
丁零とか突厥とか鉄勒とか、ずっと明らかにテュルク系まんまの名前で呼ばれ続けてるの面白いね
ずっとドモン出てたから田中公平先生のBGMが頭に流れてくる
鳥人間さんの動画で東ローマとか言われちゃうとワクワクする
東ローマ帝国、第4回十字軍での滅亡後復興した13世紀後半には、フレグ•ウルス、ジョチ•ウルス両国と婚姻&軍事同盟結んでマムルーク朝とも同盟結ぶとかいうイかれた外交政策をミカエル8世がやってる上に彼の東西教会合同政策によって元朝使節とローマ教皇が邂逅して布教のきっかけにもなってるから、ワンチャン、このチャンネルでまだまだ東ローマ(ビザンツ)が聞けるかもしれない
今回も面白かったです。
ぜひ後編もよろしくお願いします…
謎の多い原トルコ人勢力・突厥。ですが蘭陵王も宇文泰もびびっていたようですね。今回一番驚いたのは、聖徳太子が出てくる以前の時点でなんとコンスタンティノープル入りしていた人たちがいたことです。ずっと後の時代に、突厥の末裔と言える人達(メフメト2世のオスマン帝国)に攻め落とされるわけなんですが、こんなに早い時代(李克用・存勗親子が出る300年以上前!)にコンスタンティノープルに原トルコ人が入っていたのはびっくりです。また、ディザブロスの事績は、モンゴルのバトゥやフレグが比較の対象になりそうですね。仏教保護は、現代トルコ人が概してムスリムであることを思うと「あれ?」ってなります。そういえば確かムハンマド台頭はこの時期だったはずでは。
トルコのオスマン家も然り。
安禄山のルーツとされる突厥。かつて匈奴が南北に別れたように東西に分裂させられた。隋のしたたかさに脱帽だが、分裂後が興味深い。後編に期待する。
学生時代の恩師の「突厥から枝分かれして極東の島にたどり着いたのがボク等日本人で、突厥から西に行ったのが今のトルコ人やから、日本とトルコは兄弟国やってトルコ人がホラ吹いてた」って言ってたのを思い出した。
トルコ人なら許すw
日本語がウラル、アルタイ語族系統だと思われてた時代(せいぜい大正頃まで)は、大真面目にそういう説を信じてた人が、日本にもいました。八卦一宇がどうこう言って、世界最終戦争だとか言ってた人達の思想の源泉になって、軍国日本の一大思想の根源の一部を担ったという洒落にならない説ではあったんですよ
我々本物の大和民族はアルタイ語系の遊牧民の後継ぎだぞ
うおおお!突厥!突厥!
彼等の勇猛果敢さ、残忍さにシビれる!憧れるゥ!
動画内でも少し触れられていた、柔然の残党を西魏に命じて皆殺しにするところなんてゾクゾクしますね。
柔然、頼りなさそう。優柔不燃、ダメじゃん。
柔然も興味深い民族なんですけどね。突厥の大元となるテュルク系民族は柔然に抑えつけられていた訳だし。
北魏の太武帝が柔然をフルボッコにしたことで南へ移動する道が拓けた訳で、柔然もそれまでは強かったんですよ。
あれ、その前の明元帝にも負けていたな。いやいや、偶には負ける事もあるけどやはり恐ろしい存在だと思うんです。
そういえばその前の道武帝にもボコられていたような…
突厥回はグローバルなテーマですね
東ローマと同盟まで結んでいたとは驚きです
動画では、一瞬で白匈奴ことエフタルは滅んでしまいましたが、いつかエフタルと中国の歴史とかも見てみたいです
おお、さりげない民族の分布解説たすかります
今だとモンゴル、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタンに当たると考えると、これはかなり広い。
それでも版図は蒙古に及ばないという。
遺伝子や言語学の分野で唱えられてる一度アメリカ大陸に渡った民族がユーラシアに戻って来たのが突厥などのテュルク系って説は凄いと思った
シベリアのケット人が北米先住民とハプログループの特徴が同じで、ケット語にデュルク系語彙が多くあるという話ですね。ただ、ケット語の基層はテュルク語と異なり、テュルク語とは言語連合の関係ということです。ケット人を系統が謎である羯族と関係づける説もあります。
@@jodasow この人は五胡の『羯』と「突『厥』」がゴッチャになっていて、さらに『ケット人=羯説』『エニセイ語族のユーラシア帰還説』をぼんやり目にして「どこにも存在しない自分だけのオリジナル学説」を創造してしまったかと。
@@jodasow さんが説明されてますが、「テュルク系がアメリカからユーラシアに帰還した」説はあなたのコメントで世界に初めて生まれた、勘違いよる『あなたのオリジナル学説』です。
@@hermitlogger
このコメントのオリジナルではないですよ
jodasowさんも学説が無いって断言はしていないです
既に「The lineages of the first humans to reach northeastern Siberia and the Americas」、「Autosomal and uniparental portraits of the native populations of Sakha (Yakutia): implications for the peopling of Northeast Eurasia」という名前で論文がありますね
@@hermitlogger多分コメ主は個人的な感想を述べただけなのに、なんでそんなに小馬鹿にしたような返信が出来るのか・・・?
犠牲になった義成公主が活躍する直前までの解説ありがとうございます。中国に比べて突厥は民族に固執しない開放的な感じがしますね。強い指導者が現れると一気に大陸を席巻するのも開放的だからなのかなと思いました
UPお疲れ様です。どの時代でもいいのでまた家臣団の採点やって下さい!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、とても感謝しております~!!
大変励みになっておりますッ!!!
遊牧国家の中では突厥が一番好き。
それにしてもこの後、李靖・李勣の二大チートによるフルボッコを食らうのは無理ゲーが過ぎるw
は、はやく後編ををッ
いつもご支援いただき、感謝感激……!!
司馬師お待ちくだされ……!!
アヴァール、マジャール、タタール、ハザール、ブルガール、『ル』で終わる。毛色は違うけどエフタル、ムガールも『ル』で終わります。どうしてだろう?
言われるとすげえ!
ムガルはモンゴルの訛りだけど、遊牧民全体で「ァル」とか「ォル」の音に何か意味があるんかも?
兵器(鉄)と騎馬に優れ東西貿易で富んだ北方の大帝国とか
そらエフタル、ササン朝、東ローマ、隋からヤバい思われるって
很快就要被唐帝国打得四分五裂了
もうすぐ唐帝国に打ち破られて四分五裂になってしまうだろう。
「西遊妖猿伝西域編」では突厥に関わる事情が色々出てくるが、そういう背景だったのかと納得。
というか諸星大二郎、ごく自然に遊牧民、農耕民、商人を描き分けているのも凄いが。
それはともかく、モロ農耕民である中国文化の視点で、遊牧民文化を語る限界みたいのものも感じた。
中国史が語る遊牧民の動勢って、常に言葉足らずな印象を受けてしまう。
狩猟採集民扱いしている日本に対する無関心ぶりと、似たような特性を感じてしまうのだが。
ありがとうございます!
いつも大変励みになっております!!
ご支援、まこと恐悦至極に存じます!!
遊牧国家と東ローマで同盟なんて胸熱なことがあったなんて!
ちょうど突厥について知りたかったので最高のタイミング!!😂😂
突厥スタン!
土門に関する逸話としてこんなものがある。
ある日、土門は腹違いの兄に「お前は良い剣を打つが、それだけで満足するなら族長として半人前だ」と言われ、錆まみれのボロ刀を渡された。これに怒った土門は刀を研ぎ直そうとするも、何度やっても錆は取れず、諦めて折ろうとしても全く折れない。
ヤケになった土門は腹いせに近くの枯れ木に思いっきり刀を叩き込むと、何と簡単に木を真っ二つにできた。
そして近くの木に隠れていた兄に「いくら良い刀を揃えたところで、あくまでも見てくれが良いだけ。その刀のように、実力を外見の中に隠す者はごまんといる」と言い、土門は実力の重要さと見極め方を知り、以後多くの人材を貧富の差関係なく実力で使い分けたという。
注:この話はドモンがゲルマン忍者からギアナ高地でボロ刀を渡され、「それで岩をも切れる時が来れば、明鏡止水の地に達することができるだろう」というGガン内のギアナ高地修行編でのエピソードを元に作った話です。
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます~~!!
ありがたや……ありがたや……!!!
北周の武帝・宇文邕の解説の時は木汗可汗の娘の阿史那皇后のお話もよろしくお願い致します。
「おおっ。西遼のクチュルクを捕えたか。ヤれっ。」「おおっ。ホラズム・シャー朝のイナルチュクを捕えたか。ヤれっ。」テュルク系の名前は難しいです。
モンゴル史もそうだけど、北方民族の歴史はカタカナが多くて混乱するウゴゴゴ…
デュとか多いですからね。
ディザブロスの名前が面白過ぎる
各地にそれぞれ彼の呼び名があるけど彼本人の名前は突厥のイステミになるんですかね?
突厥、全然その凄さを知りませんでした!モンゴル以前にこんな大国家があったなんて!
突厥碑文にはブラーフミー文字を用いてサンスクリット語で書かれたものもある。
鳥人間チャンネルでユスティヌス2世のソリドゥス金貨を拝めるとは、良い時代になったなぁ…
いつか民を思う内政君主トップ10やってください!
スキタイはどうなったんだろうね?
9:36 そこはディアブロスじゃないんかい!
中国史から入ったから中央・北アジア史はさっぱりでどこから読めば・・・と思ったら資料いっぱいで死んでました。
こういう民族ごと時代ごとの目で見て分かる資料、とても助かります。
鐵は国家なり、とっくつは鉄兜の意味という説もある
古今東西、第一帝国が第二帝国になると中央集権度が上がるんだなあ
助かる・・・ドモン・・・ドモンヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモン
カガンとドモンが印象に残った、あと敵国への内紛分離政策は恐ろしやだな
突厥の製鉄技術は山岳製鉄か となるとたたらみたいなもんだから下流のバイカル湖とかに製鉄の痕跡とか残ってないのかな?
遊牧民族国家は興隆と衰退のスパンが中華帝国より早い気がする。
胡虏之运 不过百年
突厥と言えば啓民可汗と沙陀族ぐらいしか知らないのでありがたや!
俺のこの手が真っ赤に燃える!!!
鉄を穿てと轟き叫ぶ!!!!!
552年、土門は突厥可汗国のキングオブハートに即位したんですね
節子、それドモン違いや。
突厥はトルコ語ではGöktürkと言います。空のトルコ。イスタンブールの北側にまさにGöktürkという地域がありますよ。
あんまし関係ないけど、僕が持ってる漢辞海だと厥に「くつ」の読み方載ってないな
突厥の項目には「とっくつ/とっけつ」両方の読みが載ってるけど
我々本物のニッポン人は海上牧民であり
12:19 ファッ!?
突厥は「とっけつ」だと思っていたのですが、とっくつ、読みなんですかね?
「製鉄やってた人たち」と言われると「それって遊牧民なん?」と思ってしまう…燃料を求めて絶えず移動する必要があったみたいなので「遊民」ではあると思うけど
何で遊牧民ではないと思うか分からないですが、普通に馬とか羊とか飼って暮らしてる民族系統の人達ですよ
@@アバババアバババ-p1v 日本で製鉄の民と言うと農業などをしない専業の人たちというイメージなので、製鉄もやる遊牧もやるというあり方が想像しにくいからですね(一部は製鉄、残りは遊牧で分業してたのかもしれませんがそういう詳しい内実を読んだ事がないので…)
@@qngduojngpho4428 どういう区分かは文献があるわけでも無いですが、民族の構成員全員が製鉄して生きていけるわけが無いし、製鉄技術者が片手間の兼業でやれるとは考えづらいので、分業してると考えるのが自然でしょうね。分業なし前提の考え方は、日本人は稲作の民族だから、アニメや車など作らない、というような話に聞こえてしまいます
ほむほむ
ほむほむ
どもんなら
いしじまどもんや
鉄人どもん
とりあえず
とりあえず
かわいがもんや
みやもとあもんで
代用しとく?
いしじまどもんは烈火のほのお
どもんは華麗なる食卓だよ
モンゴルの次に世界に影響を与えた遊牧国家だと思う。
匈奴の方が上かな…まー、どっちにしてもかなり世界に影響を与えた国
最後 唐突なムスカ大佐で草
突厥という名前を聞いただけで濡れる。
額が(焦り)
そらドモンなら強いやろ
馬にも乗ってるしな
Gガンダムからモンハンみたいな名前の君主になってて草
モンゴルの駅伝制もクリルタイみたいな大ハーン制も突厥さんの政治形態があったからなんだねぇ
東方不敗不可避
けつに草冠が付くと「わらび」(蕨)!!
阿史那氏の土門………絶対勝てない!
「遊牧=草原」で木炭を用意できなそうだから遊牧民が製鉄をするイメージがなかった。
家畜の💩を乾燥されると意外と火力強いぞ。
毎回この勢力図見るたびに梁の小ささに笑う
Hoi4トルコのトゥーラン国の元ネタがこれかな
古代中国には、各民族の厳密な記録がありました。最も面白いのは、トゥルキエ氏が最近、世界的に有名なアメリカの遺伝子配列解析会社アンセストリー社をボイコットし始めたことだ。
なぜ?トルコがDNAプロジェクトを実施していたことが判明し、アメリカン・アンセストリー・テクノロジー会社が委託した検査報告書によると、現在のトルコ人は主に征服された先住民アナトリア人と古代ギリシャ人の子孫であり、中国で記録されているトルコ人と同じであることが判明した。それとは何の関係もありません。
アングロサクソンと東スラヴも大移動に入れていいとワシは思う
土門の怒りは、キング・オブ・ハート!
「俺のこの手が真っ赤に燃えるぅ!!」
エフタル知りたぁーい!
でも中国史ではないのよねェ…( ; ; )
石人かわいい
突厥ってトルコと関係あるのかな?
テュルクを漢字で突厥って表記しただけだよ
唐代の発音で突厥と書くとテュルクと読める
突厥人もトルコ人も同じテュルク系民族ですね。
突厥はテュルクの中国語表記だと言われています。
またテュルク系は遊牧民族だったのでその一派がモンゴルから中央アジア方面に移住し、最終的には現在のアナトリア半島に至ってオスマン帝国を建国し、これがトルコ人の起源になります。
ただしオスマン帝国時代のトルコ人は帝国の始祖オスマン1世の名前から取った「オスマン人」を自称していて、「トルコ」の国名が使われ始めたのは割と最近なんですよね。
今天的土耳其人是中国汉朝时期被大将军卫青霍去病击败并迁徙到中亚和今天土耳其的匈奴人后裔。
@@郭高阳
トルコは衛青霍去病班超に追い出された匈奴だって説もありますよね。匈奴はフンヌだからフン族のアッテラが子孫とかいう説もありますが・・・。トルコはフン族の子孫だという主張していますが・・・。ただどうしても匈奴は謎の民族ですから。やっぱり李靖や李績に追い出された、突厥の方までくらいしか遡るのは難しいのでは?
トルコは突厥独立の552年をもって最初の建国としています。
もちろん人種的にはほぼ無関係と言わざるをえませんが、文化・言語・歴史について後継者であると自認しているということになります。
ユダヤとかウイグルと同じですね。
匈奴やモンゴルに並ぶ、中国を苦しめた遊牧民の一つですよね、突厥は。
もうすぐ唐帝国に打ち破られて四分五裂になってしまうだろう。
もうすぐ唐帝国に滅ぼされるだろう。
もうすぐ唐帝国に滅ぼされるだろう。
もうすぐ唐帝国に滅ぼされるだろう。
中国史三昧を見に来たと思ったが遊牧民国家史三昧になっていたッ!!
な、何を言ってるかわからねえと思うがオレも何を言ってるかわからねえ…
モンゴル高原から西走、傭兵などでアナトリア半島にトルコ人が移動か凄いな
土門か、ドカベンの土門がいたのに
石島土門も!
使節が××された時、ササン朝に攻め込んだら、歴史はどうなったのか、気になりますね……
チカラは、パワーだよ!
「とっけつ」読みのほうは少数かな?
私は「とっけつ」読みで習ったな、ウン十年前に。
とっけつで習ったけど後にとっくつ派に鞍替えしました
おからだ大丈夫ですか?あまり無理せずにお願いします
ご心配おかけしてます!
ぼちぼち無理せず頑張ります~!
こっちのドモンなら一人で唐を滅ぼしそう
陳霸先してくれませんか?
突厥は日本に使節団を送った事あるのかな?
トルコって、
トゥコ、トーコ、トッコ、トッケ…
または、トゥコ、トゥク、トック…
「突厥」って事?
コレを見たら安易に大陸の政策に口を挟めないと言う事が、分かるでしょ!
よく1人でこのようなコメントの数々を…
ーコメです
とっけつじゃなくて、とっくつなの?
トルコ人がいなければ世界史はもっと簡単だった。
はえ?
突厥は「とっけつ」です。ちょっとヒデえなあ。
もしインターネットが使えれば「突厥 とっくつ」で調べてみてください。
以前は「とっけつ」が主流でしたが、現在の概説書や専門書では「とっくつ・とっけつ」と「とっくつ」の方が先にくることが多くなっています。
@@c-history そもそも当て字なうえに、現地の当時の読み方でもないからね…
世界史は本来は当時の読み方と言語と表記というのが理想なのかもとは思ったり
是韩国人